今は11月ですが、今年初めて経験した八月踊りの様子は、特記しておかねばならない奄美大島の年中行事です。私はコロナパンデミックの最中の4年前に奄美へ移住しましたのですが、この地域の肝心要の地域重要文化財ともいうべき「八月踊り」の行事が、実に4年間も中止続きで参加できませんでした。去年、実は3年ぶりに実行される予定でしたが、直前の敬老会の行事で、結構規模の大きいコロナ感染が集落内にあって、最もこの地域らしい「八月踊り」が急遽中止になってしまったのです。だから今年は4年ぶりの初めての本格的な八月踊り参加となりました。
話には聞いていましたけれど、非常にエネルギッシュで気持ちの熱くなる様な、評判に劣らない素晴らしい行事でした。何でも昔は三日三晩昼夜ぶっ通し、黒糖焼酎を飲みながら踊り狂ったとかです。さすが今はもっと現実的スケジュールに変化していますが、それでも奇祭というか、相当に珍しい参加するのに意味がある行事です。
昔は奄美大島中どこで八月踊りが盛んだった様ですが、今は若い人が参加しなかったり、集落としても高齢化や人口流出で行事の担い手が減少しています。多数の踊りと唄を覚えるのも大変だし、このままでは消滅すると嘆いている人は多いです。集落ごとに踊り方、リズム、歌詞も違い、その地域の「保存」に対する気持ちの強さにかかっていると言われています。私が住む集落はたまたま奄美大島で最も「保存」の意識が高く、大阪や東京の親戚や知人、また名瀬からも多くの人が参加します。島の人は高卒後90%が島外に出ますので、その人達が八月踊り時期には帰ってくるのです。
「八月踊り」はいわゆる「豊年祭」です。「種おろし」とも言う様です。今は「アラセツ」を3日間、そして3日間休み「シバサシ」を3日間で行う、夕刻7時から10時くらいを踊るというシステムになっています。その際、踊る場所は各家庭の庭または道路辻を1日で3場所回るといった風でその家の繁栄、家内安全、災厄から守るなどの意味があります。移動は男が「追い声を」上げて「女の太鼓」で次の場所へ移動します。風情があります。各場所ごとにご馳走と酒が振る舞われ、子供達は沢山のお菓子を貰って、大人たちは焼酎を煽って踊り狂います。ご馳走作りは半ば質と量の競争ですから、女性方はその準備に追われます。焼酎飲んで太鼓と三味線に合わせ円になって、男と女が歌を掛け合って最初はゆっくりとしたリズムから、そしてだんだん早くなっていく最後は「六調」を舞い踊り狂います。
何とも言えない、恍惚とした一種のトランス状態に入っていく様な、気持ちの良い不思議な世界に誰もが没入していきます。設置された淡い手作りの昼夜塔の淡い光が独特なムードを高揚します。
私がこの島に来て初めてお世話になった人は、最も奄美大島で八月踊りの保存に熱心な人物であって、自らも「みちの島太鼓」の名手で三味線も弾き、奄美一大きな指笛を吹く人と言われています。とても温厚な人柄で奄美愛に溢れた人です。年に1度は「丸ごと奄美」のイベントを東京で行い、そっくり奄美酒、文化、踊りをそっくり持っていきます。渋谷のエクセルホテルとか東急ホテルとかで3日間八月踊りを紹介しています。
何とも言えない、愉しく奄美の心が息づく、詩情と情熱に満ちた貴重な踊りです。今年私は初めて参加しました。やはり残したい良い伝統行事だなと思いました。詳しくは書けませんでしたが、ざっと八月踊りの紹介をしてみました。