石の上にも4年(1)

 しばらくブログが書けず休筆状態になっていたら、夏、秋となってあっと言う間に過ぎて移住4年を迎えていました。「石の上にも3年」を書いて1つの区切りにするつもりでしたけれど「光陰矢の如し」はからずも4年が経っていました。4年はまた3年とは違う見え方もがあります。その辺りを今回は書いてみようと思います。

 1つは、私の住居は以前書いた通り、役所の「空き家バンク制度」を活用した住宅です。元々の空き家を家主が移住者に貸し付けることを条件に、奄美市からリフォーム費用の補助金を使って改修した住宅です。従って借主の条件として「5年以上住む」というのがありました。

 けれど私は契約時、「果たして5年間住めるのだろうか?」と不安に思いました。だって新しい生活環境や文化、土地の人々の価値観、そして一番は経済的基盤たる仕事が上手くいくのだろうか?正直全く分からない訳です。不安ばかりが大きかったです。「暖かい所に住みたい」などという安易な理由だけで移住を決断してしまった私は、希望は少なく不安感ばかり大きかったです。

 更に言えば、逆説的ですが「希望は持つまい」と決めてさえいました。60歳過ぎの頑固じじいが、身寄りもない、気候も食べ物も違う、新しい土地に、それも無謀にも単身で飛び込んで簡単に馴染める程、移住は甘くないよなという気持ちでした。(この表現は希望を持って移住する若者にとって大変失礼であることを許しください)(田中一村の心境?!)しかしそれが当時の正直な自分の気持ちであったし、だからこそ「暖かいから」という軽佻浮薄な移住理由を言うしかなかったのです。理由を聞いて人々はとても怪訝な顔をしました。多分は自然に憧れて、とか海が綺麗だからとか、田舎生活に憧れてとか言って欲しいところを、私は「この島へはあったかいという理由だけで来ました」と失礼なことを平気で言っていました。事実ですからね仕方ないですね。

 それらの予想は100%近く当たっていました。覚悟はしていましたが。私は性格的に凝り性ですから、一生懸命「移住を成功させよう」とあらゆる場面で頑張る訳です。しかし4年が経過した今思うのは「頑張ってもうまくいかない」という事実です。極端な言い方をすれば「うまくやろうとしない方がいい」時間をかけて地道に信用を積み上げ、集落と奄美の生活に慣れていくしかないのです。移住は本人にとっては大イベントですけれど、島の人にとっては単なる「生活」「日常」でしかありません。昨日もある人が言っていました「この島はなーにも無いよ。1ヶ月居たら飽きるよ」と。本当にそうだなーってしみじみ解る様になるのですけれど、結構残酷な現実でした。それがある意味3年と4年の違いという所で、その辺りの理解が急速に進んでいく時間に到達するって感じです。正直言って何度関東に帰ろうとしたか数知れません。外もんにとって奄美は余りにも厳しく本当に大変なことばかりですした。特に中心部から36kmも離れた北部の田舎は厳しいことこの上ないです。

 移住は1つのチャレンジではあるのです。奄美大島は世界自然遺産等、割と注目され沖縄に次ぐ大きな島ですが、実際は純粋移住者はそんなに多くないです。なんなら沖縄本島、宮古島、石垣島の方が純粋移住者は圧倒的に多いと思います。沖縄は圧倒的に移住のインフラが整っていて、定着率も高いと思います。一方奄美の移住者って言っている人の殆どがが地縁、血縁がある人です。全く所縁のない人は3年くらいで帰っていきます。島が大きい割には人口が少なく(約7万人)働く場も少なく、名瀬を除いては医療、買い物、食事等生活ははっきり言ってしずらい。奄美の自然に絆されて移住はしてみたものの3年以内に帰る単身女性とか、もしくは5年くらいで帰っていく人が多い気がします。実際私と同時に来た人も2年くらいで東京へ帰りました。

長文になりました、次(2)でまた、いくつか焦点を絞って書いてみたいと思います。

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