「比較文化論」というのかもしれませんね。難しくいうと。川越で川越高校バレー部の先輩で5歳上の方が地域活動、コミュニティ活動を活発に展開されていて、その一環で川越高校の同窓生が10名くらい毎月集まって食事付きの「勉強会」が開催されておりました。その名前が、確か「異文化交流勉強会」という様なものであったと思います(今は一時休憩状態)。内容はその先輩が主催幹事でかなり高度なテーマで大学の教授や、地域の研究家や気鋭の NPO法人の代表を招いての高度な勉強会でした。
私は、既に奄美へ移住して2年くらい経ってましたが、そのK先輩から勉強会の案内は届いていましたが、ある時「奄美へ移住して」というお題で話をして欲しいとの依頼があったのです。存外の依頼でしたので1度はお断りしたのですが、「短い時間でいいし、メインテーマは他の演者がやるから、サブテーマで短時間やって欲しい」ということで引き受けてしまいました。その代わり日程は私に合わせてくれるということで、僭越ですがやることにしました。三味線も少しできる様になっていたので併せてご披露することにしました。確か2年前の今頃寒い日でした。
本当にいい勉強会だったので、簡単な原稿を書いて行きました。場所は今川越で流行りの古民家を改造した「民泊」が会場でした。そこで感じたことは、「環境を変えてみる」「身の置き所を変えてみる」そういうことの重要さみたいなことです。そもそも「異文化交流勉強会」の趣旨自体がそういうことがあったみたいで、そうは言ってみても、結構名だたる川越文化の担い手の重鎮みたいな人達だから、移住はできないでしょうから、他市と文化交流するとか、その交流の中で川越の本質をより理解し様とする機運が強かったのだと思います。
私は、最初に15分くらい「奄美」の移住苦労話をして、あとは10分くらい、「行きゅんやかな」と「糸繰節」を弾いたのですが、大変好評でみなさん喜んでくださいました。また多くの質問が出ました。前半「農業問題」が多く、後半は学校の先生も多かったので「教育問題」が多かった様な気がします。なんか少しは先輩の顔を立てることができたのかなあと思いました。こういうのが生きた「比較文化論」なんだろうかなあと思いました。
メインの演者は「日本の農業政策」について気鋭の研究者であり編集者でした。同時に高校の先輩の同窓生でしたけれど、私の話にいたく感銘を受けてくださいました。月刊誌の「日本の農業」をくださいました。また参加者が皆さん300円ずつ寄付をくださり、私の食事代はただになってしまいました。
すみません、また「奄美」の話でなく「川越」の話になってしまいました。しかし、改めて「川越」を書くことは、同時に「奄美」を書くことに通じている気もしています。「比較文化論」ですから・・・。