午後5時名瀬のホテルに到着。私も近くの同系列のホテルに入室して屋仁川(通称やんご)の夜を案内するために待機した。ロビーで待ち合わせて午後6時半に予約した島唄と料理のお店「まあじん」へ向かう。ホテルから10分くらいの屋仁川通りの道のりをゆっくり歩く。まだ時間は早いけれどそれなりに風情があって、2人にとっては興味深い様子だったと思う。私はかつて大島紬が盛んに取引された頃恐らく大賑わいだったであろうやんごの姿を想像して、そんな話をしながら歩いた。
私は5年前に、移住下見のため5回奄美を訪れていた。「まあじん」は龍郷のホテルに夫婦で宿泊した際、そこのスタッフが週に何度かバイトしていて最近オープンしたばかりの店だと紹介されたのが最初に行ったきっかけだった。それ以来今回で5〜6回目になる。こじんまりした地元の人も良く来る料理の美味い良いお店である。今迄来島した友人を私が案内するのはほとんどが知り合いの関係で老舗「銀亭」である。奄美を代表する歌と踊りの店。けれど今回だけは集落でとても親しくさせて頂いている島人(しまんちゅ)の「しんちゃん」の手配でこの店に来た。
演奏する人を奄美では「唄者」(うたしゃ)と呼ぶ。今日はたまたまであるが、先日私の住む集落の八月踊りで三味線を熱く弾いてくださったその人だった。名瀬の人だが、奥さんの実家が私の集落という関係で参加されていた方だった。しんちゃんは当然知人でもあったけれど、その方がその日来るとは思っていなかったのでその偶然に驚いていた。唄者は本当に味のある三味線の名手だったので2人もしんちゃんも満足した。過去まあじんを訪れて同じ唄者に会ったことはない。
その唄者は奄美の文化の説明がとても上手だった。先輩と後輩の2人はその口上に聞き入っていた。来島初日から奄美の風俗文化の雰囲気を知ってもらう為には最高の舞台設定だったと思う。しっとりとゆっくり「朝花節」から始まって、「行きゅんにゃかな」「糸繰り節」と続いていった(実は私もこの2曲を弾くことができる)。一曲毎にその歌の内容を簡潔にに説明し演奏した。とても分かり易く、話のテンポも暖かく、演奏は実に味があった。2人は黒糖焼酎に飲み、珍しい「冬瓜の天ぷら」等に舌鼓を打ちながら「やんご」の夜はゆっくり愉しんだのだった。2人はすっかり奄美の魔法にかかってしまいそのソウルフルな世界を満喫した。唄者は奄美の唄はまさに「ソウル」であると表現した。
しんちゃんは「道の島太鼓の名手」でもあったので、「イトー」の曲では見事に舞う様な「踊り打ち」?を披露してくれた。その姿を私は以前何度か見たことがあった。しかし実は彼が最近まで長く大病をしていて太鼓から離れていた。だから大丈夫なのかな?と一瞬心配したのだけれど全くその心配は無用だった。会話の滑らかさはまだ回復していなかったけれど、体で覚えた太鼓のリズムは不思議なことに依然健在であった。太鼓を体の芯が覚えているのだろうか?自然に体が三味線に同調してしまう様で気持ちよく舞った。見事な太鼓だった。優しいしんちゃんにIさんもK君もすっかり惚れ込んでしまったし、私のしんちゃんへの接待の「特命」は大成功に果たされたと私は思っている。
Iさんは昔からかなりお酒は強く、逆に博士の K君はあまり強くない様子だった。すっかり皆が打ち解けてしまい、最後のお決まりの「六調」の頃にはすっかいい感じで酔いが回り、IさんもK君も最高潮の心地よさを味わっている様子だった。
その後、タクシーでしんちゃんの馴染みのスナックへ行き、カラオケで大いに盛り上がった。私もたくさん歌ったし、IさんもK君もたくさん歌った。しんちゃんはスナックでもとても愛されキャラでより一層にいい奴だった。ママもチイママも一見の客に優しく大事に接してくれた。2人は奄美の人情にもほだされて、奄美がすっかり気に入った様子だった。
12時を回った頃にタクシーで屋仁川に戻り、美味しいラーメンを食べた。実に美味かった。でもK君はほとんど気を失う程に酔いつぶれていた。私とIさんはK君を抱き抱え、彼はゲロを何度も吐きながらホテルに戻ったのだけれど、いい歳になって、学生時代の様に肩組んでゲロ吐きながら歩くのも何か味わい深い気がしていた。もちろん彼はそのことを全く覚えていない。スナックでは元気良く歌い、知らない客に盛んに話しかけていたんだけどね。まっいいか。夜はすっかり更けていた。