「三日踊って三日休み三日踊る」「大笠利の八月踊り」は日本最南端の離島に残る天下の「奇祭」である。伝統文化として元々は奄美大島のどこの集落(しま)でも盛んに行われたが、今は年々縮少されて数年後には消滅する危機がある。事実今は昔の3日3日3日ルールを守る集落は少なく、もう「八月踊り」自体やめた集落さえある。今まさに存続の瀬戸際で私の集落(しま)の人たちはその伝統文化を「残そう」と必死だ。
パンデミック最中の4年前に奄美移住したものだから、実は「八月踊り」が4年間中止で参加できなかった。だからこの祭りの「凄さ」「奇抜さ」「人々の底知れないパワー」をついぞ知らずに過ごしてしまった。もったいないことだと思っている。
「八月踊り」を知らずして「奄美の本質」を知ることは不可能である。パンデミックが無く、私が移住した年に「八月踊り」があったなら私は一気に集落(しま)に溶け込むことができただろうに。観光では見えない「何か」は「移住」して「生活して」初めて人々が見せてくれる「生の奄美」「本音の奄美」だ。それは「激しい魂とエネルギーの燃焼」であった!
集落ごとに踊り方やリズム、歌詞が違うのは全くもって不思議なことだ。隣の集落であっても違うのだから。音律、スピードも違う。プライドなのかな?薩摩藩は隣集落の人と結婚することを禁じた。交流による団結を阻止したかったからか?いくつかの要因で「八月踊り」は数百年かけて独特な「島唄」の世界を構築したのだ。
大阪や東京の親戚や知人、また名瀬からも多くの人が参加する。当日踊っている人の半分が集落外の人だ。高卒後島外に出た息子や娘が八月踊り時期に帰ってくる。
「八月踊り」はいわゆる「豊年祭」で「種おろし」とも言う。今は「アラセツ」を3日間、そして3日間休み「シバサシ」を3日間行う。夕刻7時から10時くらいを踊るというシステムだ。その際、踊る場所は各家庭の庭または道路辻を同じ日に3場所回るといった風情でその家の繁栄、家内安全、災厄から守るなどの意味がある。移動は男が「追い声」を上げて「女のちぢん」(太鼓)で次の場所へ移動する。風情がある。各場所ごとにご馳走と酒が振る舞われ、子供達は沢山のお菓子を貰って、大人たちは焼酎を煽って踊り狂うのだ。ご馳走作りは半ば質と量の競争だから、女方はその準備に追われる。焼酎飲んで太鼓と三味線に合わせ円になって男と女が歌を掛け合って踊る。最初はゆっくりしたリズムから徐々に早くなっていく。最後は「六調」を舞い踊り狂うのだ。
三味線とちぢんの音楽に合わせて踊る。黒糖焼酎を回し飲み恍惚としたトランス状態の様な不思議な世界に没入する。それは言葉で言い尽くすことができない。設置された淡い手作りの白熱灯の淡い光が独特なムードに島人(シマンチュ)を誘う。
長文になりました。八月踊りの紹介するのに熱を込めすぎたら御免なさい。