多分一番にこの「ブログ」の読者が知りたいことは、ここなのだと思う。昨日もwrighterの本橋先生が、新春の「日刊ゲンダイ」の連載コラムに私のことを少し書いてくれるという話があって、「因みに奄美大島に移住した動機、想いは何だったのでしょうか?」というLINEがきた。改めて考えてみて、私は次の様に返信した。
「動機、想いは一言でいうと『奄美は暖かいから』なのです。けれどそう言うと、皆変な顔をします。『それだけ』って言いたげ。でもそれだけなんです。川越の寒さが最早耐えきれなくなった。ただ付け加えると、実は本気でバリ島移住考えていて、都合5回90日間の滞在してます。そのバリ島でアジアを写真に撮り続けていた、著名な写真家菅洋志さんの娘さんに偶然出会いました。既に父上は亡くなっていましたが、『大野さん、バリがそんなに好きなら一度奄美へ旅してみてください』『父が40年間、アジアを撮り続けて最終的に辿り着いたのが実は奄美なんです。奄美にアジアの源流があります』という話をされました。その後コロナになってバリに飛行機が飛ばなくなったので、そんな経緯も会って、暖かい所は沖縄か奄美のどちらの2択で、奄美を選んだのです。
ほぼこれで言い尽くしているですが、あと付け加えると「夢は一切持たな買った」ということがあると思います。コロナになって外国は無理になったので国内の「暖かい所」が奄美であったということになります。
そもそも環境の全く違う、言葉も解らない様な場面も多く、風習も文化もかなり違う場所に、還暦過ぎた男が、そうは簡単に馴染め様な場所でないだろうと思っていましたから。その予測はほぼほぼ正確に当たっていました。いくら「暖かい」と言ったって、日本の南最果ての離れ小島、それも更には北端の田舎に単身住もうなんて考えがある種どうかしています。私は実は相当な覚悟を持って移住に臨んだのは事実なのです。移住はそんな甘いもんじゃありません。(移住に希望を持ってやってくる若い方にはごめんなさい)
実際私のデータにはないのですけれど、感覚からするとと、移住にトライした人の8割方の人は5年以内に失敗している気がします。別の土地へ移る人も含めてです。うまく数字では把握できないのですけれど、追分苦行され寂しく帰るか、他の地域に移動する人は多いのだと思います。
また私のように全く奄美に縁も所縁もない、純粋培養移住者は奄美では少ないと思います。というのは奄美は市で人口約4万人あと町村部で約2万。合わせて島で6万人程度の人口しかいません。ところが奄美以外の土地つまり東京、大阪の内地に関係者が60万とか80万人居ます。都会の「奄美会」は実に結束力が強いです。親戚とか含めると100万人近くの人が内地で暮らしています。その当人もしくは親戚筋の人たちが奄美へ移住してくるのケースが実は多くて、それらを引っくるめて「移住」と呼んでいます。だから私のような「純粋培養移住者」は実は少ないと言われています。
島は仕事・産業が少ないので高校卒業と同時に9割方の若者は島を出てしまうのです。多くの人は内地に留まって居着いてしまいますが、島には残った家が多くあり、また親の面倒を見るために5〜7人いる兄弟の1人が帰ってくるというようなことがあります。
面白い話はいくらでもあるのですが、おいおい紹介していきますね。