バリ島と奄美(2)

バリ島で知り合った女性は、東南アジアの写真を数十年撮り続けてこられたある有名な写真家の娘さんでした。その方は「Oさん、バリ島がそれ程好きなら、是非一度奄美へも行ってください。気に入る筈ですよ」と仰いました。父上は東南アジアの源流が実は奄美にあって、最晩年に辿り着いたのが奄美ということでした。それで数年間奄美へ通い続けて撮られた写真が、新潮社から「一瞬のアジア」とと共に「奄美」として発刊されていました。2冊とも私の手元にあります。いい写真集です。奄美の自然と人の魅力が凝縮された写真集です。

そんな時、世界はパンデミックに突入しました。私はガルーダ航空でバリ島へ行く事は出来なくなってしました。飛行機は国内線はまだ飛んでいましたので、妻と一緒に奄美へ確か冬1月だったと思いますが渡航しました。奄美空港に到着した瞬間、暖かいもわーとした空気が印象的で、レンタカー屋スタッフの半袖アロハ姿に驚き、同じ日本でもこんなに暖かいのだという体感をしました。大きなプールのあるリゾートホテルに泊まりましたが、ホテルの前の色鮮やかな赤いハイビスカスもとても印象的でした。

一度で奄美が気に入って、その1年間で4回奄美へ通いました。海で泳いだり、加計呂麻島に渡ったり、景勝地を巡ったりして奄美を堪能し、鶏飯や豚料理を食べたりしました。私はお酒は飲みませんでしたが、妻は黒糖焼酎が本当に美味しいとすっかり奄美が気に入った様子でした。

私は元々が寒さに弱く、歳を重ねるにつれて関東の冬が愈々辛く感じておりました。バリ島への移住をかなり真剣に検討していたのもそれが理由でした。兎に角温暖な気候、体への負担の少ない亜熱帯の気候はそれだけで魅力でした。パンデミックの中で年齢的な制限も感じるなか、外国が無理なら沖縄か奄美かなあなどと考えていましたが、アジアの源流の「奄美」へ飛び込んでみようかな、まずは飛び込んで後のことは考えよう、と奄美へ通う中で次第に考えが固まっていきました。

写真集「奄美」の扉表紙に書いてあった言葉を一部引用します。

「山は深く、緑は濃く、紺碧の黒潮に包まれ、淡々と穏やかな生を営むシマッチュ(島人)。暖かく、ゆるい湿気を含んだ風が人の心を豊かにするのか。アジアを撮り続けた私が辿り着いた、奄美の地。そこはおそらく東南アジアの北限であり、そして、かつての心豊かな日本であった。」(新潮社、奄美引用)

タイトルとURLをコピーしました